稲本正:森の自然学校 岩波新書(535)

森の自然学校 (岩波新書)

森の自然学校 (岩波新書)



●レビュー(「BOOK」データベースより)

合成化学物質に囲まれた室内、コンクリートで固められた街。自然とかけ離れた日々の暮らしから、目を少し森に向けてみませんか。鉢植え、公園、街路樹から里山へ、身近な木をスタートにして深い森とつながっていく。葉や実でアート、ドングリを植えたり、小枝で額をつくったり。植え・育て・使い・遊ぶ。木と森の文化を体感し、考える本。


●目 次

1 木を使う・木でつくる/2 森で遊ぶ・森で学ぶ/3 森をつくる/4 森の文化を再生する

●読書のポイント

本書は、木に触れ、森を親しむためのさまざまな方法がとてもおだやかな調子で示された良書です。目次にも示したように、4つの章の構成をみると、木を使う・木でつくる、森で遊ぶ・森で学ぶ、森をつくる、森の文化を再生する、と章を追うごとに深みがます読み物となっています。著者の木や森を通した活動の広さがよくわかります。

ものづくりに興味にある方は、1・2章を、そして環境問題に興味のある方は、特に3章と4章が面白いと思うでしょう。本のなかで興味深い記述を見つけましたので、ちょっと引用してみます。

20世紀末から21世紀の前半の日本にとっては、「森の再生」こそ一番力を入れるべき課題である、ということだ。・・・自然保護に関して、英語圏ではつぎの五つの段階でのアプローチがあること(以前『森の旅、森の人』(世界文化社刊)で触れた)をもう一度紹介しておこう。・・・

プレザベーション(放置):自然度がもっとも高く、まったく人の手が入っていない場所では、どんなことがあっても放置しておく。たとえば、アメリカの国立公園のプレザベーション地域では、自然発火の山火事が起こった場合でも、消火作業をしない。

プロテクション(防御):文明の脅威から自然をプロテクトしようという考えで、人工的な建造物はもちろん避け、人間が入るときも自動車などで入ることは極力避ける。

コンサベーション(保全):日本の自然保護団体もこの言葉をよく使っているが、コンサベーションは「人間が管理して良好な自然状態にしておく」という意味があることを、よく理解しておきたいものだ。

リストレーション(復元):自然のバランスが崩れたところを、なるべく元にもどすために人間が手を入れるということだ。たとえば、シカが多くなりすぎると減らすこともするし、植生の中で、ある種の植物や樹木が多くなりすぎた場合もそれを減らす。すなわちリストラするのだ。

リハビリテーション(回復または再生):人間の自然破壊により完全に壊れてしまった自然を、回復したり再生したりする行為をさす。荒地に植林をしたり、コンクリートの三面張りになっていた川を、近自然工法で工事しなおすことなども含む。

このような五段階の方法のなかで、どのケースを選ぶかを決め、自然との関係のしかたを導いてくる。どの場合も、人間と自然が明確に対置されていることを感ずるだろう。これがうまくいけば「林業」と「自然保護」も仲よく共存できる。日本人は自然保護というと、どちらかと言えば、プレザベーションかプロテクション的なイメージを持っているが、それに値する自然がどの程度の自然度なのかもあまり知らない。また、これら二つの方法を具体化するには、きわめて強い警察権を含めた管理権をレインジャーに与えなければならず、相当のお金がかかるということも、ほとんどの人は知らない。さらに、里山や雑木林のようなところでも、プレザベーションやプロテクション地域にしなければいけないと言う人や、手入れのための除・間伐さえ許さないと言う人がいたりする。私は日本では原生林の面積があまりにも小さいので、プレザベーション地域にすることはかなり困難なのではないかと思っている。

いま一度強調すれば、日本の森林は、再生がもっとも人切である。前述の五段階の概念で言えば、リストレーションリハビリテーションが必要な場所のほうが圧倒的に多いということを、ぜひ認識してほしい。

「100年かけて育った木で、100年使えるモノを!」つくりつづけ、「1本使ったら、一本植える」ということをしつづければ、木はなくならないのだ。

これもいいフレーズですね。そこには静かではあるけど、確かな思想が流れていることを感じることができるでしょう。