牧野 和春:巨樹と日本人―異形の魅力を尋ねて 中公新書



●レビュー(「BOOK」データベースより)

数百年、数千年の歳月、同じ場所で根を張り、枝を拡げ、梢を伸ばしてきた巨樹は不思議なまでの生命力で人々を圧倒する。長い間の風雪に耐えて獲得した異形の姿は神とも魔物とも映り、信仰の対象となっているものも多い。また歴史の目撃者として、巨樹にはさまざまな物語が託されてきた。現在では地域の文化遺産としての意義も大きい。巨樹は常に人々の暮らしと共にある。巨樹巡りの旅から六十余本を選び、日本人との深い絆を語る。

●目 次

言問の松(イチイ)/喜良市の十二本ヤシ(ヒバ)/勝源院の逆ガシワ/苦竹イチョウ
角館のシダレザクラ/東根の大ケヤキ羽黒山のスギ並木と爺スギ/三春滝ザクラ/真鍋のサクラ/日光杉並木街道〔ほか〕


●読書のポイント

「数百年、数千年の歳月、同じ場所で根を張り、枝を拡げ梢を伸ばしてきた巨樹は不思議なまでの生命力で人々を圧倒する」

この言葉にも見られるようにいつしか神の宿る聖なるシルシからご神木が神そのものへと変わっていく。あるいはそうした未知なるチカラの具現として人々の目に映る巨樹。この夏木曽御嶽山に登ったことが契機となり、山と森、そして巨木に興味を持つようになりました。そんなことで読んだのがこの本です。

わたしは、かつて岐阜県に住んでいました。本書のなかでも石徹白の大杉が紹介されています。こちらは白山信仰のなかで美濃側のご神木として私も一度お目にかかりました。

岐阜県にはそれ以外にも巨木や老木がいくつもあります。私自身は毎年のように荘川桜を目の当たりにして樹の持つ生命力に圧倒されたものです。荘川桜は、御母衣ダム建設によって集落が水没する際、桜を移転させたものです。

石徹白の大杉の樹齢が1200年、荘川桜が400年。

木の文化をはぐくんできた日本人は、その精神文化もまた、巨樹・巨木に支へられているように思います。時を超えて生きる巨木に神々を感じ、その異相に畏怖の念を抱き、ある時は村のシンボルとして祀り、仰ぎ、語りかけ、守られてきました。幾代にもわたって生長する巨木のほとんどは、何らかの形で土地の人々の暮らしや歴史と深く結びついています。

環境を守り、地球を守るという世の動きのなかで、巨木の命を後の世にも伝へていくことは、今を生きる者としての大切な務めではないでしょうか。失われたものへの郷愁――現代の日本人の故郷感が、ここに凝縮されているような気がします。本書を読んで、近くに巨樹の不思議な力に触れてみるのも一興だと思います。